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​プロフィール

profile

中村恒克(なかむら つねよし)

【略歴】

1986年生まれ

横浜市出身
 

2005年

私立逗子開成高等学校 卒業
 

2011年

東京藝術大学美術学部彫刻科 卒業
 

2013年

東京藝術大学大学院美術研究科 文化財保存学保存修復彫刻 修士課程修了
 

2016年

東京藝術大学大学院美術研究科 文化財保存学保存修復彫刻 博士課程修了
博士号(文化財)取得

 

現在

横浜で彫刻家として活動(作品制作、仏像制作・文化財修復など)
横浜美術大学 修復保存コース 講師

【展示】

2010年

「藝大生の真実」(千住芸術村)


2011年

「藝大アーツ イン 東京丸の内」(丸ビル)


2013年

「Spring Board 2013」(上野駅 Break Station Gallery)


2014年

「覚の会」~現代作家によるそれぞれの古典~(東京都美術館)
「木の系譜」(日本橋高島屋、以降なんば・横浜各店を巡回)
「夏の芸術祭2014ー次代を担う若手作家作品展ー」(日本橋三越)
「籔内佐斗司とその後継者たち」(松坂屋名古屋店)


2016年

「夏の芸術祭2016 ー次代を担う若手作家作品展ー」(日本橋三越)


2017年

「覚の会」(靖山画廊)
「長岡宮の大極殿・朝堂院」(向日市文化資料館)

2018年 

「木で表わす日本の歳時記」(松坂屋名古屋店)

「木彫三昧展」(横浜高島屋・新宿高島屋)

「仏像の姿」〜微笑む・飾る・踊る〜 (三井記念美術館)

「修復展」 -時を超えて伝える-(鎌倉長谷寺 普門寮)

「明日にかける木彫家たち展」(松坂屋静岡展)

2019年

「ART FAIR TOKYO 2019 覚の会-Mission Peace-」(東京国際フォーラム・ホールE) 

「木彫三昧展」(大阪高島屋・日本橋高島屋)

「修復展」 -時を超えて伝える-(三渓園 旧燈明寺本堂)

 住友財団修復助成30年記念 特別企画「文化財よ、永遠に」(東京国立博物館)

【受賞歴】

2010年

久米桂一郎奨学基金
国際瀧冨士美術賞特別賞


2011年

三菱地所賞(卒業制作)


2013年

お仏壇のはせがわ賞(修了制作)
大学美術館買い上げ賞(修了制作)


2016年

お仏壇のはせがわ賞 特別賞(修了制作)

【メディア】

2012年

「FNNスピーク特集ー3.11を越えてー」(フジテレビ系列/3月14日)
 

2013年

「仏像の魂に挑む~東京藝術大学 若者達の一年~」(NHK/4月20日)
「Radio Japan Focus」(NHK World Radio Japan、6月19日 )

 

2017年

「国宝仏像随一の美作、模刻しふるさとに展示 京都・向日」(京都新聞/3月2日)
「菩薩半跏像に唐の影響 京都・向日、模刻作者が特徴語る」(京都新聞/3月5日)
 

2018年

「檀信徒の心安らぐ場に」(中外日報/7月6日)

「江姫さま降臨!希望ふたたび」(ひろたりあん通信/7月15日)

「続 江姫さま降臨!新たな歴史」(ひろたりあん通信/8月2日)

2019年

「秋川雅史の美の仕事」(『目の眼』10月号)

「運慶と快慶 乱世が生んだ美の革命」(​NHK BSプレミアム/9月21日)

【講演会】

2013年

「仏像模刻にかける青春群像」(奈良国立博物館/8月25日)


2014年

「仏教美術講座」(共立女子大学 櫻友会/7月28日)           
「仏像ってどうみるの?」(スタンド7/8月23日)
「仏像を分解して秘密を探る!?」(スタンド7/11月8日)


2015年

「知られざる文化財修復の世界」(スタンド7/4月4日)


2017年

「宝菩提院菩薩半跏像を造ってわかった!特殊な表現方法と桓武天皇の唐への憧れ」(向日市文化資料館/3月4日)

MONOVATE in AKIHABARA  パネリスト (UDXシアター/10月13日)

2018年

「仏像修復の成り立ちと理念」(NPO法人 美術保存修復センター横浜)

ロゴマークについて

  • 法要でお坊さんが撒く「散華」をモチーフにしています。仏像から彫刻を学んだことを表すのに最適だとの考えからです。

  • 濃い紫の色は、仏教で高貴な色とされています。

  • 「散華」とは仏様や菩薩を供養する方法のひとつで、供養するため花をまき散らすことを言います。法会(ほうえ)において、読経(どきょう)しながら列を作って歩き、蓮(はす)の花びらにかたどった紙をまき散らすこと。仏様や菩薩が現れるとき空から花が降るという逸話があり、これに由来しています。


東北大震災の後、陸前高田の松からお地蔵様を彫りました

― 初めて手掛けた修復・新作はそれぞれ何ですか

初めて手がけた修復は2011年の阿弥陀如来立像、大学で一番最初に修復させていただきました。鎌倉時代のお像で、なかなか修復する機会がないような素晴らしいお像です。新作は修士1年の時に造った陸前高田のお地蔵さんです。陸前高田は海岸線に植えられた松が有名なんですが、(大震災で)全部倒れてしまって…。供養のために何かできることはないかという流れの中で「倒れた松がたくさんあるので、お地蔵さんを三体彫ろう」ということになりまして。それで僕のいた研究室に声がかかったんです。その中の一体を僕が彫らせていただきました。

最初、震災の年の冬に現地に行って衝撃を受けました。街の状況はもちろん、倒れた松がばぁーっと並んでいて。僕の先生も同じ事を思ったそうなんですが、倒れた松が積まれているのを見て、この木は仏像にしないといけないと自然に思ったんですよね。

それまで仏像がすごく好きで勉強をしていたのですが、仏像が必要だ!と思った事はありませんでした。昔の人も戦さや飢饉、天災などでが起こった時に、こういう気持ちで仏像を造ったのだろうと思いました。地元の方々が本当に大切にしていた木で仏像を造らせていただき、本当にいい経験をさせていただいたと思います。地元の方々にも喜んでいただき、仏像を造っていてこんなに嬉しい事はないと思いました。


― 「この仏像との出会いがあったから、今の私がある」と言えるような仏像はありますか。

仏像を始めるきっかけになったのが法隆寺の百済観音です。飛鳥時代の国宝の仏像です。大学1年の夏休みに法隆寺に行って出会いました。百済観音って細長いお像なんです。スラッと上に伸びてるんですね。お像を一瞬観た時に衝撃的な、炎が揺らぎながら上昇するような迫力を感じました。その後何回も観にいくようなお像で、お像の前でいろいろ考え事をするのが好きです。


― 「できるなら、これはぜひ修復してみたい」という仏像はありますか。

滋賀県琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)に有名な神社があります。そこに仏像や工芸品、絵などを展示している施設があります。そこに素晴らしいお像がたくさんあるんですけど、壊れているものもあって。僕が以前訪れた時は、まだ修復の勉強をしてなかった頃なので、(修復を学んだ今)修復できるといいなと思っています。


― 仏像を作る醍醐味とは? 仏像を修復する醍醐味とは?

新作を造ったり修復をする事はとても楽しい事ですけれど、それ以上に住職様とか、檀家様に喜んでいただけるのが、やりがいだったり、うれしいことだと思います。手を合わせていただいて、お祈りしていただく。自分が造ったものに対して、そういうことしていただく事ははなかなかないことだと思います。



 

1200年前の超絶技巧を再現することができます


― 「他の彫刻家・仏師とは、ここがちがう!」といった点は、どこですか。

まず、アート作品について。(恩師である)籔内佐斗司先生は「誰も見たことがない作品を作らないとだめだよ。」とおっしゃるので、僕もそれを目指しています。



― 仏像についてはいかがですか。

修士・博士の5年間で平安時代の国宝の仏像を2つ模刻しました。両方1年くらい時間をかけてじっくり取り組みました。平安時代の檀像(だんぞう※)と言われる一木の仏像、約1200年前に造られた素晴らしい2体のお像を模刻させていただいたことは僕の基礎となっていますし、このような経験をした人は他にいないと思います。1200年前の素晴らしい技術を、ある程度再現することができる点が僕の最大の特徴だと思います。

※ 檀像:元々は白檀や栴 (せん) 檀などの香木を彫刻した仏像で、緻密な彫技が施される。榧などの代用材で造られたお像も檀像と呼ばれる。法隆寺『九面観音立像』、道明寺の『十一面観音像』が有名。大変緻密で、超絶技巧が施されている。中村さんは檀像を2体模刻した経験と技量を持つ。


― 10年後、20年後、将来、どのような彫刻家になりたいですか。

これまで経験のない大きなお像を造ってみたいですし、修復においてももっと大きかったり、古かったり、素晴らしいお像を手がけられたらと思います。


― 最後に、これを読んでいる訪問者の皆様に一言お願いします。

修復は仏像でなくとも、木で出来た彫刻や工芸品も対応いたします。新作についても、こういう表現、作風でないと受けられないということはないので、なんでも気軽にご相談していただければと思います。よろしくお願いします。



(インタビュー:株式会社ミウラ・リ・デザイン 三浦琢揚/撮影:小林みのる

 

彫刻家として仏像をつくり修復もし、自身の作品もつくります

 

― 彫刻家として活動している中村さん。仏像もつくり、修復もし、ご自身の作品もつくるわけですが、まず最初に、原点である「東京藝術大学美術学部彫刻科」に進もうと思った理由から教えてください。

小さい頃から、絵を描いたり何かを作る事が大好きだったのですが、藝大を目指す事になったのは、高校1年生の時に母から美術予備校があるのを教えてもらったのがきっかけです。体験授業に行って、こんなに楽しい事が出来る予備校があるのか!と思い、すぐに美術予備校に行くことを決めました。藝大の入試って彫刻科以外にも油絵とか日本画とかいろいろ分かれているのですが、どこを受験するのか、高校2年の終わりに決めないといけないんです。それで最終的に彫刻科に決めました。立体を作ったり、デッサンでも形を起こしていくという作業が好きだったんです。


― 「仏像」に興味を持ったのは、いつ、何がきかっけですか。

もともとは仏像に特別興味があったわけではありませんでした。ただ父の実家の大阪に帰った際、連れられて奈良や京都のお寺によく訪れていました。藝大の彫刻科に入り「日本美術史」という授業を受けたのですが(その授業の)先生がたまたま仏像の先生だったんですよね。その先生が1年間ずっと仏像の話をするんです。それで、昔、父にいろいろ連れて行ってもらったのを思い出して、どんどん興味が膨らんでいきました。

芸大の彫刻科に入る前は仏像を描いたり作ったりすることはほとんどなく、基本的には西洋の石膏像、ローマ彫刻とかギリシャ彫刻を作ったり描いたりしていました。「日本の古い彫刻はほとんど仏像なんだな」と思い、日本の彫刻をちゃんと勉強したいと思いまして。そこで1年生の夏休みに大阪に帰って、1週間くらい仏像を見て廻りました。


― その後は?

それまでは西洋彫刻(
ローマ彫刻とかギリシャ彫刻)の勉強ばかりしてたので、そこで初めて「日本にもこんなに素晴らしい彫刻がたくさんあるんだ」ととても感動し、それからどんどんはまっていきました。仏像を見てまわる中で、「このお像を造りたい!」と思った仏像と出会ったんです。


― 何像ですか?

いくつかあるのですが、一つは大阪道明寺の十一面観音像です。


― 国宝ですね。

はい。どうやったらこんなに素晴らしい造形を彫れるのか知りたくて、大学院は模刻制作が出来る文化財保存学に進みました。実際に模刻制作を始めてみると、やっぱり彫れないんですよね。ただ彫っては本物を見に行くということを毎月毎月繰り返すと、だんだんわかってくるというか。本物と全く同じには彫れないんですが、今まで自分が彫れなかったものが彫れるようになるのはすごく楽しかったです。

中村恒克は語る(インタビュー記事)

​IInterview of Tsuneyoshi Nakamura